こんにちは。”お金と健康の羅針盤ブログ”の白眉です。今回のテーマは権力についてです。権力というと、ハードパワーの権力をイメージできます。戦闘機や核ミサイルあるいは戦車などの軍事力をイメージすることでしょう。
このハードパワーの権力は昔ながらの武力で天下を統一する王道をイメージするかもしれません。王道といえば、武力で成り上がり一国を築いた偉人をイメージされるでしょう。一方、ソフトパワーで王様になることは可能なのでしょうか。
ソフトパワーとは教育やエンターテイメント、あるいは食べ物など、他国が欲しがる物を貿易品として提供することです。僕は他国と戦争になった時に、自国にあって他国にないものを貿易品として提供することをオススメします。利益を与えることでwin-winの関係となり、50:50の割り勘を60:60のwin-winへと上増しすることが出来るからです。
しかし、このような利益配分はお互い貸し借りなしで、対等なので、僕は5:95のような極端な例の配分を提示します。自分の取り分は5であり、相手の取り分は95とすることで、長期的な関係性を望めるのです。長期的には5の取引を30回行えば取り分は5×30=150となります。さぞ、アナタとタッグを組みたい相手が増えることでしょう。
そして、その時にソフトパワーとして自分の得意分野のモノを提供すれば大いに喜ばれるでしょう。ペンは剣より強し。ソフトパワーはハードパワーに勝るのです。衣食住足りて礼節を知る。交渉の相手は何かが足りないので、他国へ侵略して足りない何かを補おうとするのです。
僕は権力というと誰かとの協力関係で得られることを知っています。ただ単に怖い人と言うだけでも権力というのは存在するのでしょうが、そのような恐怖政治は誰も望まないのではないでしょうか。ソフトパワーの互恵関係こそ誰もが望むであろう権力の一つの形であることは否定できません。
僕は、ハードパワーの権力も時には必要であることを知っています。話も通じない相手がいきなり攻撃的に侵略してきたら、恐らく、それなりに防御する必要があるでしょう。僕は、権力というものに懐疑的です。なぜなら、権力というものは、ちょうど存在しますが、権力が必要な場面はそんなに多くあないからです。僕がイメージするようなハードパワーの独裁者ではなく、ソフトパワーのリーダーこそ望まれてしかるべきなはずです。
さて、僕は政府というものも一つの権力の形であり、本当に政府というものが必要なのか疑問に思っています。政治家はいざという時に戦争行為によって国を守ります。その点、僕は誰に対しても開けた世界が必要であると思います。その世界では、誰もが平等に扱われて、誰もがそれなりの生活を享受しています。しかし、そのような平等のオープンな世界は今現在の政府には作り得ないと考えています。
そうです。権力と言えば、政治であり政府なのです。政府は税金を徴収して行政活動を行いますが、その政府の活動は本当に必要なのか。いざという時に戦争行為を行う政府は必要なのか。僕は決して政府の権力が必要ではないと言っているのではありません。また、政府の仕事も必要ないと言っているのでもありません。
しかし、大きな政府と小さな政府という政府の権限領域の話になれば、政府が政府であるためには、ハードパワーの戦争行為をしたり、一般人を逮捕したり、行政的な圧力をかけたり、というような権力の形が存在します。
小さな組織であれば、権力はそのリーダー格のヒトが一番多くを持っているのでしょうが、組織が大きくなるにつれ、権力の規模も変わってきます。ちょうど上場している大企業のトップが絶大な権力を持つように。僕は最大の権力は国家であり政府が持っていると考えています。その政府に権力を与えているのが、国民であり、一般市民なのです。
政府の権力は最大の権力は、国民や市民から借りている政治の形で出現するのです。僕はこのような多くの形の権力を抑止力としてキープすることに価値を見出します。仮に、一度でも権力を行使すれば、戦争などであれば、多くの犠牲者と多くの恨みを引き起こします。
ソフトパワーのエンターテインメントで成り上がった王様がいまだかつて居ないように僕はこのような王様あるいは現代で言えば経営者が出てくることを願っています。ハードパワーはソフトパワーに負ける。恐怖や脅威より笑顔や楽しみに価値を置く。現代の権力はそのように新しい世界の権力へと変わりつつあるのではないでしょうか。
ソフトパワーの権力が主流となることを願って結びとします。以上です。ご成長ありがとうございました。白眉でした。

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